金井重要工業は、1894年の創業以来、
130年以上にわたり、その歩みとともに多彩なエピソードを積み重ねてきました。
歴史の中に刻まれた意外なエピソードや驚きの
トリビアを、ぜひご覧ください。
宝塚市にある不織布製造所の周辺地域は、金井重要工業の功績が認められ、『金井町』という町名になった。
紡績の重要な部品を担っていたこと、当時は国が要請する重要な製品の協力をしており、国からの助言により「金井重要工業」という社名となった。
金井グループ全体の土地をあわせると甲子園37.6個分にもなる。自社活用とあわせて工場跡地等は不動産事業としても展開。
大阪市堂島にある金井重要工業の本社。北新地に本社を構える会社は珍しい。周辺は大阪キタを代表する歓楽街かつ高級飲食街でもある。
芦屋と有馬温泉を結ぶ芦有道路を切り開き、その道中には金井トンネル、日本初のアルミ合金をつかった軽金属橋である金慶橋が建設された。
創業時から世界的トラベラメーカーのイーディ社(英国)に追いつけ!追い越せ!が合言葉であった。そこから約100年後、買収が実現することとなる。
1927年、1951年、2度の工場火災による全焼を経験しながらも社員が一丸となり、再建に成功。安全第一への想いは後世に引き継がれている。
有馬温泉の広大な敷地を活用し、2001年ワンちゃんの施設(ドッグレース場、ふれあい広場等)をオープンしたが、わずか7年で閉園となった。
先発4社の1社としてスタートした不織布事業。金井宏彰社長は、日本不織布協会・アジア不織布協会の会長をそれぞれ2回歴任、不織布の発展に努める。
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